media的ハロプロWEB(ファン・ブログ)サイト論!?


やはり、何年か前と状況は違うと思う。ブログなどの普及により、
今まで掲示板で書いていた人が、自分のブログを持つことによって、
現在のハロプロサイトの掲示板に関しては、一部を除いて、衰退しているのは事実である。



私が「モーニング娘。」ファンに、なったのが、2001年の10月頃。
初めて、「モーニング娘。」のコンサートに行ったのが、2002年の4月7日。
そして、初めて、ハロプロサイトの掲示板にカキコしたのが、2002年の5月。
あの時は、ドキドキワクワクした気持ちがあって、初々しさがあった。毎日が楽しかった。
その私のネットでの故郷ともいうべき、その初めてカキコしたサイトは、今は存在しない。



実は、オイラも昔、そのサイトに憧れて、自分でHPを開設したことがあった。
何もわからなかった私は、自分で考えながら、時には、いろいろな方にアドバイスをいただきながら、必死に頑張った。
あの時の、必死で純粋な気持ちは、今でも、良い思い出になっている。そして、ついにHPの開設♪
初めて、自分のHPをWEBで公開した時は、涙が出るほど、嬉しかった。他のサイトに比べると、見劣りするHPだったけど、
一生懸命に頑張って、達成感というものを味わえたから。今は、もう存在しないが・・・。



そして、傷心の状態で出会った、「ブログ(はてなブログ)」。これなら、私にも気軽に出来るかもと思って、始めた。
途中、いろいろな事情があって、書けない時期もあったが、今は毎日書くのが、日課になっている。
常日頃から言っている、「毎日更新」という目標は、何とか守られている。私のブログは、ハロプロ以外の事も書くし、
ハロプロファンのロムラーにとっては、困惑するかもしれない。現に、コメントは書きにくいという噂も聞いている。



「毎日更新」することに、意味はないのかもしれない。けれど、オイラのブログを楽しみにしている人は、いると思う。
っというか、いて欲しいのが本音だ。私がブログを更新するのは、第一には、自分のため・ハロプロのためで、
「私の考えを知って欲しい、私の存在を認めて欲しい、私を愛して欲しい」など、いろいろな感情が溢れ出てくる。



だから、書いた上での反応(コメント)を強く求めてしまう。こういうのを「コメント至上主義」とでも、言うのだろうか?
コメントが多いと喜んだり、少なかったら、凹んだりと、毎日が「ドッキドキ LOVE コメント」状態である。



ところで、ハロプロWEB全体を見ると、衰退しているのか?」と、問われると、
掲示板に関しては、衰退は否めないが、WEB全体で見ると、進化しているように思う。



しかしながら、ブログや「mixi」では、閉鎖的なイメージが強いとは言える。
掲示板は、公に公開していて、たくさんの方がワイワイガヤガヤと交流しやすいのだが、
ブログや「mixi」だと、自分と相手は、交流するけれど、自分が知っている人でも、
知らないもの同士である相手と相手との交流は、なかなか出来ていないのが現状である。
そして、すでに、その中で、仲間のグループが出来上がっていて、新規の人がなかなか入りずらいのだと思う。
私も、「mixi」にマイミクさんはいるのだが、まだまだ、蚊帳の外のような気がしてならない。
ただし、私は、他人の心に土足で踏み込むような事はしない。



改めて、「自分が何のためにブログを書いているのか?」と、問われると、
世間の人に、ハロプロモーニング娘。)がどれだけ、素晴らしい集団なのかを広めるため」というのが正論だろうが、
果たして、私がその正論を実践しているかどうかは、自分自身で疑問に思う。自分の思うがままに、書いているので。
2ちゃん語や顔文字などを使っているのは、少しでも、面白み・楽しさを引き出すためであるが、スベリまくっている感がある。
やはり、私のブログを訪問してくれる方には、面白くて楽しい気持ちで、帰って欲しいという気持ちがある。



それにしても、ハロプロファンでない世間一般の人を、ハロプロファンにするのは、
並大抵のことでは難しい。ハロプロに関する世間の目は、厳しいように感じるからだ。
興味を持ってもらうには、私の場合は、ブログを書き続けるしかない。ただし、一般向きとは言えないが・・・。
ハロプロファンサイト・ブログを管理している全ての人が、どのように取り組んでいるのかは、わからない。
けれど、ハロプロが大好き!」という気持ちだけは、共通して言える唯一の言葉だろう。



どのサイトも似たりよったりコピーサイトばっかりに見えるというのは言えることだろうが、
似たような内容でも、1人1人の書き方は違うわけで、見比べることによって、
新たな自分のスタイルというものを発見できる可能性があるとは思う。
似たような内容でも、「ハロプロ」の事を書いている事が重要ではないだろうか?



物事を違った視点・違った角度から見るのは、相当な思考力が必要になる。
私は、天才ではないので、とても、出来る芸当ではない。ただ、気楽に書ければ充分なのである。



私のブログは、デザインを変えたいという気持ちがあって、いろいろと試してはみるものの、
なかなか、上手くいかないので、既存のものをそのまま使っているような状況だ。
理想的なデザインは、頭の中にはあるのだが、それを出来ない自分が情けない。
誰でもいいので、アドバイスをお願いしたいものである。



私のテキストの内容は、見れば一目瞭然だが、「無色 透明なままで」状態・・・
他の言い方をすれば、「内容がないよ〜♪」的な状況なのである。
はっきり言って、私には、文才というものがなくて、本当は、とても見せられるものではない。



「一方的に発信、一方的にそれを享受する時代はもう終わり、双方向時代に突入」という文があるが、
これには疑問が残る。それは、コメントに対しては、コメントをお返しするというものがないからである。
私は、ある掲示板にカキコをしているが、その管理人さんからのコメント返しは、一切ない!
(私が好きで書いているので、文句を言える立場ではないが)お忙しいのだろうが、
それに対して、一言でもコメントを返す事は、出来ないのだろうか?
それこそが、「双方向時代」の突入を意味するのではないのだろうか?
「双方向時代」というのは、「コメントを書いてくれたら、コメントを返す」という単純なものではないのだろうか?
この事から、「一方的に発信、一方的にそれを享受する」時代は、まだまだ続くと感じてしまう。
全ての人が当てはまるわけではないし、まあ、私にとっては、どちらでも構わないのだが・・・。



自分でも、何で、こんな事を論調っぽく書いているのかは、わからない。
趣旨がズレているかもしれない。だが、久しぶりに、2つのリンク先の文章が、私の心に響く文章だった事は間違いない。



最後に・・・ハロプロファンを増やす事が必要なのか?』
それは、無理してまで、増やす必要はないと思う。
ハロプロファンが増える事は、嬉しい事であり、「ハロプロ」全体が活性化していくだろう。
しかし、それは同時に、自分が推しているメンバーのファンが増える可能性がある事を意味する。
誰もが、「そのメンバーに認知されたい・レスをもらいたい」という気持ちがあるだろう。
その可能性が減る事になるのは、正直なところ、複雑ではある。それに、たとえ、「ハロプロファン」が増えたとしても、
我々には、何の得にもならず、ハロプロメンバーに、利益が還元されるわけである。
まさに、ファンを増やそうとする人は、「縁の下の力持ち」なのである。別に、損得で応援しているわけではないが・・・。



結局のところ、「ハロプロファンを増やす事は、何を意味するのだろうか?」
自分がファンを増やした所で、結局は、自己満足に陥る可能性は高い。
私は、「ハロプロ」が存在し続けてくれれば、それで充分なのだ。



1つだけ言える事は、「これからも、楽しく『ハロープロジェクト』を応援していきたい♪」と思う。