モーニング娘。プロフィール(歴史編)

1997年、テレビ東京系『ASAYAN』(現在は終了)内の
シャ乱Qロックボーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の落選者の中から、
安倍なつみ飯田圭織中澤裕子福田明日香石黒彩の5人が集められ、結成された
(ということになっている。最初から女性アイドルグループを作るために、
オーディションを開いたのではないかとする説もある)。
同年、インディーズ曲『愛の種』を延べ5日間でCD5万枚完売の条件により、
メジャーデビューが約束され、各地のテレビ局やレコード店などを回り完売させる。
販売は、大阪HMV心斎橋店(1997年11月3日)、福岡HMVキャナルシティ博多店(11月9日)、
札幌キリンビール園(11月24日)、ナゴヤ球場(11月30日)、東京HMV新宿SOUTH店(12月7日)を
予定していたが、最終日を待たずナゴヤ球場で5万枚が完売した。ちなみに、心斎橋での
販売前日(1997年11月2日)には、大阪・寝屋川市摂南大学での学園祭に特別出演している。
これは中澤が出演交渉して実現したものである。
1980年代の大人数の女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の路線を狙ったとも言われているが、
プロデューサーのつんくは「おニャン子のベースがバラエティであるのに対して、
モーニング娘。のベースは楽曲にあると考えている」と語る。おニャン子クラブのブレーンである秋元康も、
その点について、つんくと同じ考えである。
メンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、メンバーが脱退しても、
解散しないグループとして、プエルトリコのメヌード(過去にリッキー・マーティンらが在籍)を参考に、
結成に深くかかわった福田一郎が提案したと言われている。しかし、当初は、2期メンバー加入時に、
「これが最後のオーディションで以後新規加入はない」と明確に宣言していたほど、
所属事務所は、このグループにさほど期待していなかった。だが、その後の爆発的なブレークと、
予想外に脱退したメンバー(福田、石黒、市井)を補充する名目でオーディションを重ねるうちに、
このような形態のグループになった、と見るのが妥当である。また福田一郎の提案についても、
後付と考えるのが妥当であろう。どちらにしても追加メンバーオーディションを行うことで、
『夢のオーディション・バラエティ』を標榜していた「ASAYAN」への継続的な出演が可能になったことが、
以後の活動に有利に働いたと言える。後日談で2期メンバー(当時の言い方では追加メンバー)
オーディションを行ったのはASAYANに出続けるためだと語られた。Say a Little Prayerなど同じく、
ASAYAN出身のグループやアーティストがモーニング娘。以前にデビューしていたが、デビュー後、
ASAYANから離れると、次第に話題性が乏しくなり、売り上げが低下し、最終的に、
活動停止・解散に陥ったものがあったためと言われる。


☆グループ名の由来
『モーニングセットのようにいろんなものがお手軽に楽しめるユニット』 ということで命名された。
なお、その他の候補としては、「都道府」・「モーニングサービス」「モーニング・ファイブ」
などであった。尚、「モーニング(セット)」は「バイキング」から連想した物であり、
「バイキング娘。」になっていた可能性も高い。しかし最終的には「モーニング娘」が採用された。
つんく♂命名では「。」が付いていなかった。しかし「ASAYAN」のユニット名発表の際に、
ステージ上の画面で「ユニット名はモーニング娘。」と表示され、当時メンバーだった、
福田明日香が感想として「。(丸)がついててお得だな〜」と発言。そしてその後、
司会のナインティナイン岡村隆史が「さっきからちょっと気になるんですが、
あの『まる』は要りますのん?」と問いかけたところ、相方の矢部浩之が「要ります!」と
言ったため「。」付が正式な表記になった。
TBSの音楽番組「うたばん」で「。」について聞かれたとき、メンバーのほとんどは不要と答えた。
しかし、CXのバラエティ番組「ハッピーバースデー」で、安斎勝洋による姓名判断で「『。』が付いたことで、
画数が23画となり、理想的なグループ名となった。」と言われたことで、
メンバーの意識が変わったようである。ちなみに「。」のない22画ではグループが
分裂すると言われているため、のちに別の番組でリーダー(当時)の中澤裕子
「『。』は大事。」と語っている。これにちなみ、シンボルマークも、
ダブルエム(二重にした小文字の「m」、山が一つ多い)に『。』が付いた形。


☆ブレイク期
1998年1月28日、メジャーデビューを果たす。デビュー曲の『モーニングコーヒー』は、
オリコンシングルチャート6位に入る。直後の5月、追加メンバーとして、
保田圭矢口真里市井紗耶香が加入。
2nd『サマーナイトタウン』が発売され、オリコンシングルチャート4位に。
1998年9月6日の新聞の番組表で、初めて「モー娘」という表記が登場する。
続く、3rdシングルで『抱いてHOLD ON ME!』(1998年9月9日発売)で、
初のオリコンシングルチャート1位を獲得。オリコンカラオケチャートでは8週連続1位を達成。
この曲で、1998年の第40回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。
また、NHK紅白歌合戦初出場も果たす。
1999年1月、福田明日香が学業優先を理由に脱退を表明、4月のコンサートをもって脱退した。
福田卒業後しばらくは人気に陰りが見え、鈴木あみの「BE TOGETHER」と同日発売として、
ASAYANで煽られた6thシングル「ふるさと」ではオリコンシングルチャート5位まで落ち込む。
しかし同年9月、第3期メンバー後藤真希加入後に発売した『LOVEマシーン』(1999年9月9日発売)で、
再ブレイク。ミリオンセラー(164万枚)となる。オリコンカラオケチャートでは、
当時の新記録である、17週連続1位を達成した。ちなみに18週目の1位を阻止したのが、
モーニング娘。のグループ内ユニットである「プッチモニ」の『ちょこっとLOVE』。


☆黄金期
2000年は、さらに『恋のダンスサイト』がオリコンによると約123万枚、
ハッピーサマーウエディング』と『恋愛レボリューション21』が100万枚近くの大ヒットを記録した。
石黒彩が2000年1月に、市井紗耶香が同年5月に卒業。その一方で4月には4期メンバーとして、
石川梨華吉澤ひとみ辻希美加護亜依が加入する。
飲茶楼やDream Netを始め、CMに多く出演するようになる。
2000年5月に東映系で主演映画「ピンチランナー」が公開される。
2000年4月「ハロー!モーニング。」(テレビ東京系)と、
「フライデーナイトはお願い! モーニング」(日本テレビ系)の放送がスタート。
2001年頃から、メンバーそれぞれの個人活動が多くなる。メンバーごとの
ソロ写真集が発売されるようになる。
この頃、ほとんど毎週のように「うたばん」(TBS系)に出演。個人の知名度が一気に向上する。
また、「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)の中でも、『岡村女子高等学校』として、
各メンバーの個性にクローズアップした企画が何度か放送された。
同グループ初のゴールデンタイムでのレギュラーTV番組「モー。たいへんでした」
日本テレビ系)も始まる。(2002年終了)
2001年4月、初代リーダーの中澤裕子が卒業。後任のリーダーに飯田圭織が就任。
同年、人気芸能人の証と言われる24時間テレビ「愛は地球を救う」(日本テレビ系)の
メインパーソナリティとなる。この年の企画やドラマ『最後の夏休み』(安倍なつみ主演)が好評で、
翌年も2年連続でメインパーソナリティを務める。
2001年8月26日、5期メンバーとして高橋愛紺野あさ美小川麻琴新垣里沙が加入。
史上最多(当時)の13人体制となる。


☆衰退期
2002年7月31日に、後藤真希保田圭の卒業発表、タンポポプッチモニミニモニ。
メンバー改変を行ったが、ファンからは大反発を受けた。ファンの間では、
このハロプロ構造改悪は「ハローマゲドン」と呼ばれている。
なお、この後、メンバーの卒業発表は卒業期日よりかなり前に発表される事になる。
特に2003年8月の安倍の卒業決定から2005年5月の石川の卒業までの間は、
常に「卒業することが決定しているメンバー」が存在した。
2003年1月、「LOVEオーディション2002」の合格者発表
(最終選考に残った亀井絵里道重さゆみ田中れいなの3人とも加入)を前に、
ソロで活動していた藤本美貴の加入が発表される。藤本も含めて、メンバーは最多の16人となる
(ただし16人での活動は同年5月開催の保田圭卒業コンサートのみ)。
2003年9月に、新展開として、15人のメンバーを「モーニング娘。さくら組」・
モーニング娘。おとめ組」の2つに分けての活動も開始。シングルCDを2枚ずつリリースし、それぞれ、
全国ツアーを行った。辻・加護の卒業後は正式アナウンスがないまま、二組とも活動休止状態となる。
2004年1月に長くエース格にあった安倍なつみが卒業。さらに同年8月、辻希美加護亜依が揃って卒業、
5月には飯田圭織石川梨華の卒業も発表と、人気メンバーの卒業が相次ぐ。
2004年9月に、メインで歌える『エース』となるべき7期メンバーの募集を行った
(「ラッキー7オーディション」)。しかし、2005年1月の最終選考の結果、
新メンバーの増員までには至らなかった。
2005年1月、2代目リーダーの飯田圭織が卒業し、結成当時のメンバーはすべて卒業した。
2005年4月15日、3代目リーダーの矢口真里が緊急脱退)。吉澤ひとみが4代目リーダーに就任。
2005年2月より「モーニング娘。オーディション2005」を行い、久住小春が新メンバーとして加入した。
2005年8月27日、27thシングル「色っぽい じれったい」で「LOVEマシーン」以来6年ぶりとなる
握手会イベント「モーニング娘。/色っぽい じれったい」発売記念
東名阪握手サーキットを横浜・名古屋・大阪で開催。シングルDVDには応募コードは同封されず、
シングルCDの売り上げ回復を狙うものである。2005年は東北楽天ゴールデンイーグルス
応援パブリックビューイングハロプロFC限定イベントといった握手会によるテコ入れが
ハロプロ全体で増えている。
7期メン追加と同時のイベント効果により、オリコン初週は前作と前々作の累計を超えて、
22ndの水準まで戻した。ただし、イベント戦略は初動にのみ効果があるため、
累計が今後の動向を左右する。 人気低下の原因としては、以下の点などが考えられる。



出身番組(ある意味「母体番組」)であった「ASAYAN」が2002年4月で終了したこと。
本来グループの存亡に直結するはずであるメンバーの加入脱退さえもマンネリ化してしまったこと。
人気上位のメンバーや古参メンバーを「更なる飛躍を目指してもらう」目的で次々卒業させたこと
つんくは「モーニング娘。は早く卒業することを目標とすべき枠であるほうがよい」と
語っており、そのセオリー通りなのだが、卒業したメンバーの卒業後の活動実績は、
娘。時代のそれには遠く及ばない)。
派生ユニットの乱発や楽曲の傾向の変化により、個々の曲の印象が固定ファン以外には、
残りにくい曲ばかりになったこと。
安倍なつみ後藤真希に続く絶対的なエース格のメンバーを育てられなかったこと。
中澤裕子石黒彩のように同年代の女性からも応援されるメンバーを育てられなかった事。
福田明日香保田圭、草創期の飯田圭織といった、ダウンタウン石橋貴明にいじられて、
笑いの取れる新メンバーが出なかったこと。
テレビ出演(広報)よりも、コンサート(興行)が優先されたこと。
とはいえ、デビューから7年以上が経った現在でも、日本を代表する
女性アイドルグループであることには間違いない。もっとも、目立った競争相手が
存在しないからだという意見もある。